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NPO法人 ぷれいす東京

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POSITIVE VOICES 2001 〜 20人のHIV陽性者の声

POSITIVE VOICES 20人のHIV陽性者の声 ゲイ雑誌や啓発活動などで、何度も私たちゲイにとって、身近なものであると繰り返されるHIVの問題。しかし、実際に、HIV陽性者の肉声が直接に語られることはまだまだ少ないのが現状です。

そこで、ぷれいす東京と交流のあるゲイのHIV陽性者に協力をお願いし、普段、なかなか他人に話せない陽性者の経験を書いてもらいました。

あなたの周囲や、これから出会う人のなかにも、感染した経験をもつ人がいるかもしれません。

北の国から [165cm * 69kg * 25歳 ダレ専系(同年代)]

ぼくがポジティブだと知らされたのは、約2年前の11月だった。その頃HIVのことはほとんど知らなかったから、ポジティブから連想したは『死』だった。そして……もっと辛かったのは、愛される資格を失ったと思いこんでしまったこと。こんなぼくを好きになって、恋愛してパートナーとして人生を共に歩んでくれる人なんかいるもんか!なんてことを…。ずっとさびしかった。ゲイとしての幸せ、人間愛なんて考えてこなかった。

性欲の欲望を満たすというより、愛に飢えていた心を少しでもいいから温めて欲しかった。だけど、誰でもかれでもセックスしちゃって、相手に合わせてばっかり。極度にさびしくなると、気づいたらハッテン場に向かっている自分がいて店の前で、いつもためらっていた。「あーあ、また来ちゃったどうしよう。」思い切って店に入っていた。あとは、タイプも何も、ほとんど来るもの拒まずで、誰とでもセックスしていた。そして、ポジティブになった。ポジティブになってからも、何度かセックスしたことがあって、ちゃんとコンドームつけないでしてしまったことも何度かあり、その時は、相手にも感染させちゃったかもという罪悪感で、泣きまくっていた。自分と同じ思いをさせたくないって思ったから。

 最近セックスは、全くと言っていいほどしていない。でも、決して淡白なんじゃないよ。ただ、こう思うようになったんだ。セックスしたいっていうより、誰かを愛したいんだ。

C [165cm * 55kg * 21歳 広瀬香美系]

はじめまして。僕は感染が分かってからまだ4ヶ月の新人です。

僕が感染したのが分かったのは病院へ風邪の診察に行ったことがきっかけでした。それからはバイトと予備校であっという間に日がたって今では日々楽しく過ごしてます。僕はまだ薬を服用してません。と言うよりはまだ飲む必要がないからというのが事実で…。

そして、僕が今回この場で一言だけ伝えたいことがあります。それは、もっと若い人達にもこの病気のことを理解して、予防(セーファーセックス)を積極的に心掛けて欲しいということです。僕はセーファーセックスをし始めたときには遅かったから…。この冊子を読んでくれている若い人達にもっと真剣に考えて貰えたら、僕がこうして書いたかいがあったかなって思います。

そして最後にもし感染している事実が分かったらぷれいす東京に連絡を取ってみてください。きっと色々な情報と仲間が増えると思いますよ。僕もぷれいすの方々や仲間に支えられてここまで来れたので…。ではでは。

誠龍輔 [163cm * 54kg * 35歳 短髪筋肉質系]

僕が親や兄姉達に、自分がGAYである事をカミングアウトしたのは、16の時だった。

多少はタチも出来るが、基本的にウケの僕は、カミングアウトする前も、した後も、アナルセックスを覚えてからのコンドームの使用は、すべて相手まかせだった。が、それでも、僕のアナルを求めて来る相手は、その殆どがコンドームを使用せずに−ただ、僕自身も生で挿入される方が好きだったこともあって僕のアナルの中へ生で挿入し、そして最後は中出しをする人が多かった。

あれから−自分がGAYである事を親や兄姉達にカミングアウトして20年近く経った現在。自分がHIVに感染したことを知ったのは…今年の4月中旬だった。この時の検査で「陽性」と「告知」されるまでの間には、4年間も検査を受けていなかったと云うブランクがあったものの、それまでは定期的に検査を受けて、その度に「陰性」でした。しかしこの4年間のブランクが自分自身の"運命"を大きく変えたのだと思っている。僕がこんな気持ちになる前から、僕はずっと心の中で『いつかは、HIVウィルスに感染するだろう…その時は、HIVと共に生きよう!』と、自分自身の心に誓っていたから、だから素直に「陽性」と「告知」された時には、受け入れられた。その時に僕は、すぐに親や兄姉達に、自分がHIVに感染したことを告げた。

その後、一同に集まる機会があったので、僕を含めて、今後のことを話し合った時に、ずっと犬猿の仲だった兄に『こうなる事は予測していた。今後、お前が生活に困った時には、お金に関してはオレにも家族があって養っていかなければいけないから出来ないが、その他については、オレは何でも相談に乗ってやる!』と言われた時に、それぞれに家庭があるにも拘わらず、兄姉達は僕の事を心の奥で心配してくれていたんだなって思った。

まだまだ、親や兄姉達に心配を掛けることが出て来ると思うが、今後は、この病気を理解してくれて、僕を心配してくれて応援してくれている親や兄姉達の気持ちを大事に、これからは前向きに、この病気と共に生きてゆこうと思っている。

感染もまた… [174cm * 70kg * 40代 オヤジ系]

HIV(エイズ)に感染してみるのも、なかなかスリングで楽しいものです。まず、息切れや発熱、肺炎など様々な疾患とともに、貴方の眼前に墓石のビジョンがビヨーンと近づいて来ます。特に感染告知を受ける瞬間は、恐怖はジェットコースターが昇りつめたときのように最高潮に達します。次に、医者や福祉関係の方々が厚い同情をもって、「大丈夫大丈夫、そんなにすぐには死なないから」と励ましてくださいます。服薬を開始した後は、場合によってはクラクラするような目眩や悪夢、激しい下痢や嘔吐感を味わいながら、孤独感に苛まれるようになります。お仲間を求めて福祉関係の団体などに出入りするようになると、生活保護や障害者年金をせっせと貯えながら、他方でアルバイトに勤しんでいる感染者の姿も目にするようになり、その逞しさに唖然となるのも結構楽しいものです。この頃になると、「自業自得」や「運が悪かった」などという言葉も何の足しにもならないことを悟ります。HIV感染者の障害者枠における就職活動は困難を極め、障害者の就職大会では、車イスの障害者や耳の不自由な方々と一緒になって、採用の席を巡って走り回ることになります。恋人探しに至っては、「俺、HIV感染者だけど付き合ってくれる?」と正直に言うと、十中八九断られます。それを感染のせいにするか、貴方自身の魅力のなさのせいにするかは、貴方次第です。その経験もこの経験も、きっと貴方を逞しくしてくれることでしょう。

それでは、貴方がこちら側に来られることを楽しみに待っております。

◎○×□△★♂♀ [173cm * 65kg * 24歳 短髪]

感染告知…これを聞いたのは、誕生日から1ヶ月もたたない土曜のことだった…。その日は、バンドの練習で出かける前に病院に行って検査結果を聞くことになっていた。検査結果は、「感染している疑いがあります…。」とのことだった。驚いていたんだと思う。驚きすぎていて驚いていることすらわからないくらいだった…。この先どうなるんだろう…お金はどれくらいかかるんだろう…。そんなことを考えていたら怖くなっていた…。その時付き合っていた相手には話は、してあったので何ら問題はなかったのだが、お金のこととなるとこれは別問題なのでものすごく怖くなってしまったのを今でも覚えている…。色々調べて多額の医療費になることを知ってしまうや否や僕は、兄達に電話していたのを昨日のことのように覚えている。自分からではないけれど、父や母には感染してることを告げることが出来た。感染してしていることを告げてからは、両親と今まで話せなかったことが色々と話せるようになった。周りのみんなの優しさが身にしみてありがたいと思えるようになった…。この病気になることは、マイナスがたくさんある。でも、僕にはマイナスなことばかりではなかった。なんでも話せる友達も出来たし、友達にはなってしまったが昔の恋人ともう1度話をすることが出来た。なにも悪いことばかりではなかった。色々な人と知り合うことが出来てそこから学ぶべきことが多かった。

これを読んでいる人達に言いたいんだ。「自分を守るのは自分だけなだよ。」って…。そして僕のことを支えてくれている人達に、「ありがとう…」って…。

としゆき [171.5cm * 56kg * 50歳 短髪・髭]

僕は1997年に喉に腫瘍が出来て入院。 検査の結果はHIVに依りひき起こされた咽頭症と診断されました。 入院前に最愛のパートナーを亡くしたばかりで今度は自分が入院。入院中も常に彼の事が頭をよぎって病気との戦いの中で3回もの自殺未遂を計り多くの方達に御迷惑をかけてしまいました。何週間が過ぎたある日、都庁から一人の男性が見えて色々な話を聞きました。その中で高田馬場に、こう言う所が有るけど退院したら行ってみたら…と、教えて頂きました。

それにしても入院中に誰かが来てくれるという事がこんなに嬉しく思ったのは始めてでした。退院後訪ねてみました。最初は不安と戸惑いも有ったのですがスタッフの方達に暖かく迎えて頂きリラックスしました。何回も来ていると色々な悩みを持っているたくさんの仲間がいる事がわかりました。家族にわかったらどうしよう!又、家族に話すには!会社に知れたら!パートナーに話たら捨てられるか? 薬が人前で飮めずらく悩んでいる人、就職活動で悩んでいる人、他にもたくさんいるでしょう! 誰かに話す事によって少しは気持ちが落ち着くものでしょうか? 僕は幸いな事に障害者手帳が認可される前の年だったので、先生がすぐ手続きをしてくれたので翌年の春にはもらえました。都内の都バスは殆んど乗ったかナァ!これからも手帳を有効に活用して色々な所に行こうと思います。1年前、最愛のパートナーが出来ました。病気の事も話たら共に戦って行こうと言ってくれました。薬さえきちんと飲んでいれば長生き出来ると思います。今は薬もいいのが出て来ていますから医師と相談して自分に合った薬を選ぶ事が大切でしょう! これからも負けずに亡くなった彼の分も現在のパートナーと人生をエンジョイして行きます。まだ病院に行ってない人は是非検査される事をお勧めします。皆さん、共に頑張りましょう。

トム [167cm * 67kg * 31歳 短髪・髭系]

2001年、30の春。そしてカルテに書かれた"AIDS発症"の文字、それは一生忘れる事の出来ない場面でした。告知を受けて訳の分からないまま転院。春の暖かい陽射しは僕の目にはまぶしすぎて、明るさを通りこして暗くにも見えた。カリニ肺炎とカンジダ症の病気の苦しさが全て涙に変わっていった。そして涙の日は続いた。

2週間後、カリニ肺炎の吸入と点滴が終わった。まだ、いつもの僕に戻れず、毎日様子を見に来てくれている友達にかなり甘えていた。ある日、その彼に「あんた、いつまでも"悲劇のヒロイン"ぶってるんじゃぁないよ!!AIDSだからって普通に生活できないわけないんだから!!しっかりしなさい!」と、怒鳴られた。"悲劇のヒロインぶってる"その言葉は僕の頭の中に印象深く残っている。それ以降、僕は決して病気のことで人前で涙することはない。これからも見せたくない。

仕事に趣味、恋…、まだまだやりたい事がたくさんある。第二の人生が始まったばかりです。これから、いろいろとあると思いますが頑張っていきたい。自分を信じて。

僕を支えてくれた、親、親友たち、会社の同僚、ありがとう。感謝の気持ちで一杯です。(これからも、宜しく…(笑))

赤い目のウサギ [173cm * 65kg * 24歳 短髪・髭]

HIVに感染して

「用件録音は一件です。 ピー こちら○×医院です。□△さんのお宅でしょうか?先日の検査の結果がでましたので至急来院のほうお願いします。それでは失礼します。 ガチャ プー プー プッ」 なに?ドラマですか?こないだっていえば性病検査全部お願いしてた病院やんか。こんな展開ってあり?梅毒は覚悟してたけど・・・・自分の番がまわってきたんかなーハァー。

「□△さんどうぞ」
ここは個人病院だから対応できない。自分がいた大学病院紹介しますって。

「□△さんどうぞ」
え?拠点病院なのにここの病院は機能してないから他紹介しましょうって?なにそれ?こっちはどんなに不安やと思ってんの?全然わかってないやん!自分で探しますからいいです。

インターネットで探すか。なになに ぷれいす東京 ここに相談してみよ。メールして聞こうかな。 返事早いなー。なになに、ふーんここの病院がええんかー。じゃあいってみよ。

待合室とかけっこうゲイいっぱいいるやん!こんな現状とはなー。自分もかかってから気が付いたらしゃーなないけど・・。ほんま自業自得やけどさー就職は不意にしてしまったし、精神状態悪くなるし、彼氏だって簡単に選ばれへんし、大変やでかかったら。毎回ゴムつきSEXしてたら感染してなかったんやろうなー。後の祭りや。親とかにも言えへんし実家にもどられへんなー。どないする?運が悪かったんやろか?ちゃうなー。ウツル確率が低くても、ウツルかウツラナイしかないんやし、いっつも気をつけてたらよかった。ほんまこんな大変な事になるなんて自分思ってないやろ?ゲイで生きていく以上HIVはいっつも隣にあるねんで。覚えといてや!自分だけ大丈夫なんてないからな。

タッキー [155cm * 49kg * 32歳 ちびまめ系よ]

皆様、ごきげんよう。私も早い物で○年のキャリアとなりました。

 仕事は?というと、う〜ん、ちょっと内緒だけれとども、HIVキャリアということで結構得をする仕事をしています。

何で?どんなところが?と思う人もいると思いますけれども、これが又仕事を面白くしているののです(仕事仲間にはHIVの事は内緒にしています)。だって、数多くの難病に罹ってしまった人もいる中、たまたま私はHIVに感染してしまっただけ。みなさ〜ん、堂々とHIVに感染しましょう…とは言いいませんが、HIV/AIDSを違った角度から考えるのもよいかもね。

智kun [174cm * 60kg * 35歳 筋きん]

感染してもう7年目に突入してしまいました。感染告知を受けた当時は、薬は1・2種類の薬しかなくて、どうなっていくのかなと心配はありましたが、今では何十種類という薬の中からの選択になり、飲んでいれば普通に生活できるので最近では感染していることを忘れてしまっている時もあります。薬は次々と出て来ていますが、自分に合った薬がなかなか無くて、今回やっと新しい薬で見つかったって感じで今服薬しています。でも飲んでいなかった期間が長いせいか、時々忘れていたりして困っています。日常生活には何の支障も無く生活していますが、時々体調を壊して入院したりしており眼の網膜炎発症で入退院の繰り返しをしていて、最近は不自由な生活の繰り返しをしています。自宅から病院までがそんなに離れて居ないので、通院は大変じゃないのですがやはり少しデータも低いせいか最近はたまに辛くなることがあります。そんな時はプレイス東京に行って、悩みを聞いて貰うようにしています。結構親身になって相談にのってくれるから、話しやすいし少しは自分自身の気持ちも楽になるような気がします。それに感染者の人達とのお話をする機会もあり、交流したりして気を紛らわせています。結構いろんな人居て楽しいし、こんな考えの人もいるんだとか思ったりして楽しいです。自宅に戻ると一人なので、ついつい長話になったりしています。これからはまだまだ新しい薬がたくさん出てくると思いますし、病気の事を前向きに考えてこれからの生活を楽しくエンジョイしたいと思っています。

エレイン [180cm * 75kg * 28歳 * 23cm 短髪色白筋肉質系]

私、自分でも笑っちゃうほど、幼い頃から男と遊んでいた。病気に関する知識も、それなりにあった筈だけど、イマイチ、現実味がないっていうかね。生バックとかはヤバイらしいよ。フェラならいいんじゃない?外人は多いらしいよ。でも外人好きだし。ってな具合。酒飲んで訳わかんないうちにするセックスが、一番好きだったりしてね。

感染がわかったときも、それだけのことはしてきたし、まぁしょうがない、自業自得かな、って感じ。それまでの大して長くもない人生、それなりにうまくやってきたつもりだし、あとちょっとだけ生きて、若くしてエイズで死ぬってのも、悲劇のヒロインっぽくて悪くないんじゃない?みたいな。感染してからわかったことは、そんなに直ぐには死なないってことと、薬害のときに色んな人達が頑張ってくれたお蔭で、随分と公的な援助を受けられるってこと。

薬代で結構かかるけど、きちんと仕事して保険料払えば、まぁ払えない額でもないな、かなり痛いけど、と思っていたところ、公的な援助を受けると、それはそれは安くあがるそうな。っつうか、所得がある程度低ければタダだし。私みたいにセックス好きの自惚れ性感染小僧まで救ってもらえるなんて、まさに、薬害様様。ま、そんな感じで、私は日々感謝することを忘れずに生きてる、ってお話。

こういちろう [181cm * 71kg * 28歳 爽やか系]

今まで、俺は色々な事に興味が持ってなかった。
人を信じることが、出来なくなったから…

好きになって、これからつき合おうと言う時に、ゴメンと一言
ただ、俺とSEXがしたかっただけだった。

いつからか、心の中で人を好きになったり、信じることが怖くなった。
それから、ある程度格好良かったら、すぐHしたり、ハッテン場に行き、
遊んで、その淋しさを埋めていた。

だけど、ハッテン場に行っても、その淋しさは消えなかった。
また、好きだと言う言葉も嘘で、Hするための言い訳にすぎなかった

今年に入り、最悪なことが発覚した、俺がHIVになったこと
そして、すべてが失ったと思った、

俺の中で何を信じたらいいか?解らなくなり、死にたいと言うことだけが
頭をよぎる、だけど本当には出来ない、でもこれから逃げたい
その葛藤が心の中で、戦っていた。

そんな中、無意識に友人電話した、その言葉は心の中が暖かくなるぐらい
うれしかった、今はHIVは死なないし、それに薬があるから平気だよう!
今までと変わらず、生きていけるから、頑張れと言われたとき、

死にたいという気持ちが、消えたそれに生きると言う勇気が湧いてきた。
この病気はしっかりした、知識があれば、怖くないということ、
自分自身に負けないこと、自信を持つこと、そして人を選び信じることなど

この病気から色々なことを学んだ、そしてまだ偏見や誤解を持っている人に
この病気をちゃんと理解してもらい出来るだけ知ってもらいたくなった。

人は一人ではなく、ちゃんと自分の心の鍵をあければ、わかってくれると解ったから。

KANT [177cm * 74kg * 37歳 いかにも系]

夏休み中の八月十三日。その日を境にめまぐるしく時が過ぎてもう三ヶ月だなんて信じられないくらい。とにかくじっとしていることができず落ち着かなかった。仕事が続けられるのか、もうすぐ死んでしまうのか、それならいますぐ死んでしまいたい、誰にも知られずに…そんなことばかりが頭の中を巡った。現在の治療状況などHIVの正しい知識が何もない状況では、気持ちばかりが焦って、死ぬことしか考えられなかった。その日のうちにネストのHPを見て、自分一人じゃないことを知り、でも、まだどこか遠い話のような気がしながらもわらにもすがる気持ちで翌日にはぷれいすに来て、それから2週間整理の着かない頭の中をゆっくり私のペースを見て整理してもらっていた。その間も気持ちはすごく揺れて、メチャメチャ不安定だった。もう忘れたいから思い出したくない。でも、9月に入り仕事が始まると、自分でも信じられないくらい、まったく以前と変わらずの日常が始まった。ほんと信じられないくらい何も変わらない日々が…もともとの性格的なものかなんなのかよくわからないけれど、実際に支障無く仕事ができたことが大きな自信になった。急に道が開けた感じがした。変わったことと言えば、月に一回か二回の通院くらい。それまで、あまり交友範囲の広くなかった自分にとってはNESTにくることによって世界が広がりよかったこともあったりして。そんなに簡単にすべてを切り替えることはできないけれど、Positive Thinkingにもって行っている自分は今までよりも何だか進歩しているように感じる。

HIVはすぐに死なない、っていうか死ねない。だったら生きていかなければならない。生活しなくっちゃ。仕事もしなくっちゃ。今までどおりの生活をしていくための工夫は必要だけど、それも何も焦ることは何もない。急いで結論を出したってなんにもいいことはない。これから先の人生設計の練り直しはじっくり

今を生きる謎ナゾ蝶々 [180cm * 70kg * 43歳 髭童系]

感染して早いもので、4年になります。毎日薬を飲みつづけるのは大変ですが、それは今は生活習慣になりました。こういう病気になったのは自業自得だと思っています。だからどこかでセックスする時はコンドームは持ち歩いています。感染する前は不特定多数の人とナマでしました。そのころは何の知識も知らず、みんながやっているからで何食わぬ顔で無関心でした。まさか簡単に移らないだろうなあと思っていました。でも自分の身近な人間が感染して死んだことを知らされたときはショックでした。新薬も出来、薬を飲めば死なないからいいやと思っていました。それが自分がいざ感染したら最初は実感がなかった。時間がたつにつれてだんだん不安になりました。病気のことが他人に知れたらどうしようとか病気のことを理解してくれる人がいなかったことで焦りと孤独で、自殺したい衝動に何度も陥りました。あれから4年、思考錯誤を繰り返しながら元気になりました。こんな自分を陰日なたから励ましてくれたのが病院の担当の先生や看護婦さん、それにぷれいす東京のスタッフです。彼らたちに出会って、生きる喜びや勇気を与えてくれました。時には衝突もありました。それでも笑顔で優しく接してくれて感謝しています。そして同じ感染者の仲間と出会っていろんなことを学びました。笑ったり励ましたり、時には言い合いもしました。俺は君たちに言います。精神不安定で人間嫌いだった俺に元気や勇気をくれてありがとう。君たちと出会ってよかった。ゲイはとかく差別されがちですが、彼らの心は純粋で寂しさに満ちている。誰かと話したくて好きと言う告白もできなくて、それでも人恋しくて嬉し涙悔し涙流しながら出会いを待っている。病気になったからと言って悲観してはいけない。生きがいを見つけることです。何かに夢中になれるものを持つことです。趣味や人とふれ合うことで心が潤います。まだ感染してない人、俺と同じ病気にならないでください。いろんな面で苦労します。だから今からでもいいからセックスするときはいつも財布にポケットにコンドームを忘れずに。コンドームの使用後は自分たちで片付けて安全なマナーのある常識的なセックスをしましょう。愛のないセックスはコンドームがないています。愛のあるセックスはコンドームは喜んで待っています。俺も病気にめげずがんばるから、みんなもがんばれ。

神秘 [165cm * 50kg * 50歳 心.息系]

さっき掃除を済まして、11月末の11時の空をみあげた。真っ青で、無限、笑っています。20年前(私がこの病にかかる頃は、薬ができている)と思った。それで現在、positive。

hivさんには、ずいぶん力をもらっています。ストレスの受け取り方次第で、力にもできるし愛にも変えられると思う。(それが主体性かなあ)

まだ、やりたいことがあるので死にたくないなあ。hivさんの存在理由が、私の進みたい世界よりもすばらしいものとわかったら、命をなげだしても惜しくないし、次にくる世界に身を任せてみるのも楽しみだ。

「cd4さん、無理せずにがんばってや。そのためには私はどうすればいい?」
「hivさん、あんまり欲張ってcd4さん食べ過ぎるなよ!何事も腹八分目!」みんなで、長生きしましょう。

ただし、私たちの方がhivさん達の存在理由よりもすてきなものになったら、あなた方も消え去っても本望でしょう。

完治する薬ができるとは、そんな時かも…。

まあ、とにかく神様がいうとおり…。

こんな私でも、えいずのことに気をやむことがあったのですが、先日部屋に入ってきた小さな虫が「気にするな」とひとこと。虫さん達や草花さん達は、ひょっとしたら人間さん達とhivさんのまだわけのわからない関係性を横から見て、すでに感じ取っているのかもしれない。

友達たちと私の感覚を合わせてみると、後2年くらいで大きな光がでるように思っているので、後2年はこのまんま薬を飲まずに進んでいこうという意気込みでいます。

 (現在cd4 270前後)

最近は、愛と感謝の念が大きくなってきて、エネルギッシュになり、すべてとの関係が平等の心もちに近づいています。これは、hivさんのおかげ。

hivさんありがとう。しかし、実際は、コンドームで遮られた世界の住人です。

まあ、人間素足で大地を歩けなくなった世だし、生のsexが閉ざされたぶん、愛ある生活と未来のせくしゃりてぃ文化をつくっていけば、バランスがとれることだから、大変楽しみにしております。

hivさん、ありがとう、といってしまった後の私の肉体は、気づけば多少硬直している。

「もういってしまったんだよ」と自分に語りかけると、かたくなった体が柔らかくなり、そのほぐれた力が内面へ内面へと進んでいった。

きっと、hivさんも私の力を受け取ってほっとしてるかも。(なにせ、全世界の嫌われものだもんね)

私も楽になった。少し休もう。(そういえば、1971年大学祭にはコンドームで埋め尽くしたジャケットを作って出品したっけ…)

皆さんこれからよろしく…。

P.S. 心配するよりテストした方が楽ですよ。

Story Boy [170cm * 70kg * 35歳 SG系??]

I woke up in the hospital and he was there.

He was there as I closed my eyes at night.

His presence was a comfort, a beacon, a rock I clung to when I was afraid.

He is my champion, my inspiration and my guide.

His love is unselfish, kind.

His love is wise, full-hearted, the deepest well.

And he is still here to help me.

三平 [163cm * 80kg * 35歳 髭短髪チビガチ系]

階段の昇降に息苦しさを感じたのが、今年の2月の末ごろ。普段から運動は割と欠かさないほうだったので、ちょっとした風邪かなと思い、スポーツクラブにも通っていました。日をおうごとに、呼吸がつらくなり(昔、小学生のころ光化学スモッグがでたときに、大きく呼吸をすると気管のあたりが締め付けられるような痛み)、胸のレントゲンを撮りました。レントゲン結果を看た医師が血液検査をするといい、その時にHIV検査もすることに同意をさせられました。その時点で、もしかして、俺は感染したのかなとものすごく不安になり、検査結果が出るまでは毎日神様に祈り続けていました。無情にも結果は、陽性!おまけにカリニ肺炎を発症していたのです。目の前が真っ暗になり、いったい自分はいつまで生きていられるのかと、持って行き場のない不安に悩まされました。

入院を余儀なくされ、仕事も長期にわたり休まなければなりません。家族にも職場にも真実をつげられず、ただの肺炎ということで、隠し通さなければなりませんでした。病気に対する知識も、入院中にすこしずつ得て自分は死に直面している訳ではないということもわかってきました。ただ、退院後も社会的に排除されずに復帰できるかはどうかが新たな不安材料として日々のしかかって来ます。

自分の場合は、彼氏が理解を持って誠心誠意尽くしてくれたこと、病院の看護婦、ドクター、ぷれいすの皆さんのはげましで、どれだけ助けられたことか。少しずつながらも社会復帰したいという希望が生まれてきました。

一時は、体重が10kg以上減少したのですが、今は入院前より体重も増え、体も一回り大きく(ちゃんとトレーニングして)なりました。もちろん、無理はできませんが、きちんと薬を飲むことで日常生活にはほとんど支障は無いところまで回復してきていると思います。

長期的な視点で考えると不安なことはたくさんありますが、まずは一日一日の積み重ねをきちんとしていくことを大事にしていきたいと思います。感染者であることに甘えてしまうような生き方はしたくないし、人生に後ろ向きな姿勢になるのも今はもう嫌ですね。自分が強くなって、この病気と共生してやるぞくらいのきもちでいきたいです。しっかり!!

天才パティシエ☆ [180cm * 80kg * 25歳]

 8:00 携帯のタイマーが無感情な電子音を奏でる
 9:00 まだベッドの中 ワイドショーでお目覚め
10:00 いつのまにかテレビで男鑑賞
11:00 「西洋骨董洋菓子店」の録画を予約
12:00 お昼を食べて薬を飲む
12:30 バイトに出かける
12:35 薬を一種類飲み忘れた事に気づき走って帰宅
19:00 バイトの後、いったん帰宅して、おめかしする
20:00 二丁目でオネエ丸出しになりながら飲みつづける
22:00 なぜか実家から電話
23:00 薬の為にしぶしぶ帰宅
24:00 お薬の時間
25:00 ENYAを聞きながら就寝

ダンデライオン [174cm * 68kg * 44歳 リーマン系]

本当にいろいろなことがあったけど、今はけっこう幸せかなぁ。HIVという単純な事実を事実として受け入れる、たったそれだけのことの為に何年もかけてしまったけど、それで良かったのかもしれない。その経験があって、今の僕がいるわけだから。

でも、家族にはすごくきつかったんだろうな。母親には僕がHIV陽性だということも、ゲイだということもすべて打ち明けました。僕一人で二つの秘密を抱えていられなかったんだ。いつでも無条件に優しい母が、一度だけ声を震わせて言ったことがある。「孫はあきらめたから、もう気にしなくていいから。同性愛だとかゲイだとか、おかあさんには何が何だかよくわからない。そんなことはどうでもいい。あなたが健康で幸せなのがおかあさんの唯一の願いなの。だから一つだけ約束してちょうだい。親より先に死ぬような親不孝だけは絶対にしないって。それだけは許しませんから。」

僕は幸せになるために生まれてきたはずだし、それだけを願っている人もいるのだから、多少時間がかかってもいいから、もう一度自分の人生を始めてみようって、そう思った。 今、僕には大好きな人がそばにいる。彼もまた、パートナーがHIV陽性だという単純な事実を事実として受け入れようしてくれている。時間がかかってもいいよ、僕だってそうだったんだから。世の中そんなに強い人ばっかりじゃないって知ってるし、それでいいと思っているから。

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