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NPO法人 ぷれいす東京

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POSITIVE VOICES 2000 〜 HIV陽性者の声

POSITIVE VOICES: Voices from HIV+ ゲイ雑誌や啓発活動などで、何度も私たちゲイにとって、身近なものであると繰り返されるHIVの問題。しかし、実際に、HIV陽性者の肉声が直接に語られることはまだまだ少ないのが現状です。

そこで、ぷれいす東京と交流のあるゲイのHIV陽性者に協力をお願いし、普段、なかなか他人に話せない陽性者の経験を書いてもらいました。

あなたの周囲や、これから出会う人のなかにも、感染した経験をもつ人がいるかもしれません。

よしお [170cm * 70kg * 34歳 ジャニ系]

入院している病院で感染を告げられた時、私は不謹慎なことに「癌だったらよかったのに。そうすれば、パートナーにも両親にも会社にも話しやすいのに。」と心の中でつぶやいていました。今から思うと、癌で苦しんでいる人々とその家族に対して、とっても失礼なことを考えていたと反省しています。告知の後すぐに、彼の留守番電話にその事実を伝えました。浮気をした結果感染したとわかっていたので、彼が病院に来てくれるかどうか、とても不安でした。でも、彼は来てくれました。彼の優しく温かい手が私の頬に触れた時、今まで一度も神様を信じたことがない私が、その存在を信じたひとときでした(元気になった今は、また無神論者にもどっている)。

入院先の病院の待合室から朝6時頃(他の人に聞かれないように)両親に電話をし、感染をしたこと、ゲイであることを告げました。電話にでた母は涙をこらえていたようです。父が受話器をとり「これから会いに行くから。心配せんでエエぞ」と言いました。両親は私の主治医から病気の説明を受け、私が感染者であることを受け入れてくれ、あらゆるサポートをしてくれています。

HIVは私に、人間はひとりでは生きてはいけないということ、そして、愛する人に愛されるこがどんなに素晴らしいことかを、教えてくれました。

neco [167cm * 58kg * 38歳 南方系]

ネコに徹していた私は、6年前に初めて受けた検査で陰性であることがわかって以来、自分なりにセイファー・セックスを心がけてきたつもりでした。フェラチオされる際にもコンドームを使っていたほどです。

けれど、完璧とは言えなかった…。片手で数えられるくらいの数だけ「危険な」行為に及んだ記憶があります。

そんな私が、劇症の肺炎で入院した先の病院でHIVに感染していることが判明したのは今年の6月。CD4(免疫細胞の一つ)の値は3にまで減少していました。

箸さえ持てないほど衰弱しきった呼吸困難の中で「なぜ自分が?」と自問自答を繰り返していました。それまで感染の自覚症状なんて何もなかったんです。毎日5本の点滴と50錠近い薬剤の服用を続けて、4か月の入院生活を送ることを余儀なくされました。

人ごとだと思っていたAIDSに自分がかかったとことが、今でも信じられない気持ちです。体調はなんとか回復してきたのですが…。

マルコヴィッチ [175cm * 66kg * 45歳 短髪・ひげ]

ゲイであることと、HIV陽性であることの両方と、上手に付き合えるようになったのは今年になってからかナ。「ダブルカミングアウト」にショックを受けていた親も、やっと事実を受けとめつつあります。

今年はカレシも出来たし、やりたい事も見えてきて心機一転。この歳になって勉強を始めました。いくつになっても、何があっても、やり直しはできるものだなぁと思うこの頃です。

メカパンダ [163cm * 77kg * 33歳 SG系]

どうにも仕方が無いけどイチバンの落とし穴は、HIVってね、自分の身近に感染者を知らないとまるで関係ないものと思ってしまう事なんだ。僕の場合もそう。コンドーム無しのセックスは危険、と知識では分かっていても、関係ないと思っていたから。実は身近なんだけど、「多分この人とは大丈夫」なんていう根拠の無い自信がホントの事を見えなくしているんだよね。相手の見た目や遊び方で安全かどうか判断することなんて絶対ムリ。感染していても自覚出来ずにいままで来ている人が結構いるんだろうな、と思うと、恐くなってくるよ。

まぁ、僕の場合、HIVに感染したのを知ってから、いろんな事が少しずつ見えてきたし、新しい人との繋がりもでてきた。だからHIVが完全な悪者だとは今は思っていないけど、それなりに辛い事も沢山経験するんだから、もらわないに越した事はないよね。

キャサリン [175cm * 56kg * 25歳 スリム系]

私の感染がわかったのは、2年前の冬に血便が出たことでアメーバ―赤痢だと診断され、HIV抗体検査を受けることも勧められ、感染が発覚しました。思い当たる節はあります。大学時代にデビューして室内発展場に何度か行ったことで、その機会に遭遇したのです。私は、セイファーセックスに対して甘い考えを持っていたため、コンドームは相手に任せるといった受身の考えを持っていたのです。それが原因だったのではないかとつくづく思います。

私が最近思うことは、HIVに対する報道も一時期に比べ少なくなり、報道される内容においても、誤解を招いてしょうがない知識ばかりのものが、印象に強いようです。HIVに感染すると死が直面していて、病弱で、暗い生活をしていて、人との接触は避けなければならないと言った間違った知識が、一般的に理解されているような気がしてしょうがないのです。先日も、大学生くらいの2人組が電車の中で、HIVに対し てこう話していたのが聞こえました。「俺、エイズになっちゃったかもしれねえ」「ええ、近づくなよ!」と、大きな声で言っていました。他の乗客の人は、そのときどう思ったでしょう?

HIVは死に直面した恐ろしい病気と誤解されている状況の中、それと裏腹にセイファーセックスに対しても甘い考えを持っていて、まさか感染者と生でエッチするなんてあるわけないだろうと思う人が多いようです。感染者かどうかは、やはり検査しなければ分かりません!HIVの場合は目で見て分からなく、健康な状態の人がいるからです。こうしたことから、みんな潜在的な感染者とセックスする機会を持っているということを自覚してほしいです。私はネットをよく見ますが、「種付けしてくれ」と言った言葉をたまに目にします。そのとき私は、「あなたもいつか私たちの仲間入りね!」と思う次第です。こんな状況では、おそらく潜在的な感染者の増加は、やむをえないと思いました。これを避けるには、正しい知識を確立し、間違った知識を訂正する機会を与えなければなりません。マスコミの力が手っ取り早いですが、口コミといった皆さんのちょっとした気遣いが、この世の中を救うし自分を守ることにもつながるのではないか。また、新しい人類に対しても正しい知識を与える教育が必要だとも思いました。

私には、とても理解のある彼がいます。彼との付き合うきっかけは、昨年のVOICEでした。もちろん、彼とはセックスがあります。ただし、フェラチオはほとんどなく、ある場合でもコンドームをつけます。アナルセックスの場合もコンドームを使っています。彼は抗体検査にも定期的に行っているそうです。結果は陰性です。こうしたマナーを守るのもお互いに思う気持ちがあるからだと思います。私たちは、陽性者だから全くセックスができないわけではないという見本ではないか。好きな相手と快い関係を持ちたい気持ちは、誰にでもあることだと思います。これを感染者だからといって、避けるのはおかしいと私は思っています。マナーをしっかり守りさえすれば、お互い気まずい思いをしないのではないか。

YS [176cm * 75kg * 39歳 SG系]

自分はゲイで、20歳くらいからそう感じていたのですが、それ以前は女性とつきあった経験もありました。10年くらい前から、HIVに関しての情報は、NHK等の報道で興味深く見聞きしていたのを思い出します。今年、病気で入院し、その時に感染を知ったのですが、気持ち的には、かなりショックがつよく、その夜は眠れない状態でした。自分はすぐに死ぬのではないかと不安に思っていました。有名なアーチストやデザ イナーがAIDSで亡くなったのを知っていたので、その人たちの事が走馬灯のように頭の中をうずまいていました。

入院中に友人がお見舞いにきてくれました。彼等の心配してくれる気持ちはありがたかったけれども、本当の病名を言えないという事で、非常に複雑な気持ちでいました。また、仕事や趣味が今までどおりできるのかがすごく不安でした。特に仕事に復帰できるのかは、最新の治療法についてあまり知らなかったので、すごく不安でした。

退院後はひとりで悩んでいたところ、ぷれいす東京に電話し、話したことで、治療法とかの情報を聞いて、心が励みになって、気持ちが落ち着いたのを覚えています。

数カ月間は、誰にも感染について話さないでいたのですが、勇気を振り絞って、周囲の信頼できる人に話したら、偶然にも、その人自身も感染していたことがわかり、びっくりしました。薬を飲みはじめての経験や、病気のことを説明もしてくれて、やさしい言葉で迎えてくれて、大変うれしかったのを覚えています。彼からのアドバイスは、信頼できる人のみに話しなさいという事でした。

今は仕事にも復帰し、趣味も再開しています。これから治療をするにあたって、不安がありますが、医師の指示どおり薬をのみ、治療に専念したいと思っています。

もし感染して打ち明けられない人がいたら、誰にも言えないのは大変に苦しいので、誰か信頼できる人に打ち明けることがいいのではと自分は今では思っています。

今まで自分は、セイファーセックスをしてきたと思っていた、どこでどうやって感染したのか、今からは分かりません。アナルセックスではコンドームはいつもしようしていましたし、セックスのあいてがそんなに多いわけでもありません。

今、早い段階で自分の感染に気がついたのはよかったと思っています。今までつきあってきた彼や、友人には今のところ、検査を受けて欲しいとは言えてはいません。HIVの感染が増えているけれども、今だに完治はしない病気なのです。自分も誰かにうつされたし、自分も誰かにうつしているかもしれないので、今後は伝えるようにしていきたいと思います。

スターダスト

何年の歳月を費やしたのだろうかぁ…三ヶ月?一年?五年?そう、私は12年…日常さし遣い無い生活に戻るのに時間が掛かってしまった…医療の進歩、それで何年も掛かった物が、数ヶ月の時間に!

その時間の過程でどれだけの人が病気の犠牲に…たくさんの人がいたから今の自分が存在していられる。12年ほどの日々ではあったが、いろんな人に出会ったある人は、ながい長い間苦しんで、それでも必死に生き抜こうと、ある人は、段々体が弱ってゆきながらも、この病気にと、懸命に自分を検体にと差し出している人…

そんな歴史は今では少なくなった、確かに医療環境や社会資源が整備されてきた、それらの歴史を知らない人にとってはそれが当たり前の世界になりつつある、喜ばしいことではあるが?反面、感染者&患者の数は右肩上がりに増えてきている、いくら医療が進歩したとはいえ感染した人の状況は以前よりは改善されたにせよ、まだまだ厳しい物がある。

ある人にとっては、お金や時間だったり、仕事、家族関係、友人関係、人様々ではあるけど沢山の身近な山積みした問題を間近に突きつけられる…そんな苦労はしない方がいい、ない方に越したことはない!たった少しの気配りと、少しの勇気が有れば…そんな事などに、なる可能性は極端に少なくなるのだから…

学校の先生 [171cm * 60kg * 29歳 非体育会系]

僕が将来学校の先生になりたいと思ったのは、中学校1年生の時。必ず叶えられると思った。

僕がはじめてエイズを知ったのは、中学校1年の時。直感で「この病気になるな」と思った。

その後、2つ予感はやっぱり的中した。

学生時代、友達よりたくさんの勉強をし、努力して採用試験に合格した。同時に、色々な人に出会って、たくさんのセックスをし、機会あるごとに検査にいき、感染しないようにと努力をしたが、感染した。どちらも、その時その時を一生懸命に精一杯ヤッた。

職員室で隣の先生は知らないが向かいの先生は知っている。校長先生は知っているが教頭先生は知らない。体調のすぐれない時、向かいの先生は「大丈夫?」と話し掛けて来るが校長先生は何もおっしゃていただけまない。でも、なぜか学校教育の中に「エイズ教育」がある。

教える人が「エイズ」だと職員会議が長引くのかな?教師が「ゲイ」だと生徒もオカマになるの?個性化の教育の時代って言うけど、個性的な先生だと父兄が許さないのかしら?…でもきっと、これからもオネエぶっこきながら授業するんだろうな。

RU [180cm * 70kg * 21歳 そしらぬ系]

仕事で海外に行かなければならない2日前電話がかかってきた。姉からだった。10数年らいの友人が事故にあったらしい。バイクで病院に行く向かう途中、車にぶつけられ、手と足を骨折したが意識ははっきりとしているという。情にもろい姉の声は動揺している。電話では彼の体の詳細もわからないし、自分にとって知らぬ仲ではないのだ...。取り急ぎ電車で三時間かかるその地への電車に飛び乗った。彼とは4年前からのつき合いをさせてもらっている。これは自分のエイズ歴とも重なるのだが自分自身がエイズを発症し「告知」「生死への不安」などの今までにない経験をし、最も混乱していた時期に見守ってくれた一人だ。今でもはっきりと覚えている。最初に会った時彼は開口こうい言ったのだ。「ハッハッハ 全然大丈夫。」優しそうな笑顔には似合わない下品で甲高い笑い方をして、パチンコフィーバーしましたー といったノリで怯えた目で見る自分を見卸した。「僕なんか19年感染しているからね。CD4が0だって大丈夫、大丈夫。死ぬわけないんだから。」60キロあった体重は46キロになってしまった薄ぺらい僕の肩をトントンと叩いた。ずっとニコニコしながら元気な言葉を投げかけてくれる彼は感染者として19年、戦ってきたようには見えなかった。その後、長い年月の自分の体調の危機や生きにくかった事をずっとニコニコして話してくれた。ぜんぜんつらくないんだよー といった感じで...。数年つきあっていくうちに彼は、世の中で一番人に気を遣い、家族を大事にし、時には落ち込んで自宅にこもり一人で悩み、ひとりぼっちで問題を解決するような繊細で優しい人だと知っていく事になる。姉の電話では家族にはもともと病気のことを話していないらしく病院の手続きなどのエイズとわかってしまう事柄は、その秘密を知っている人しか出来ないらしい。身動きがとれない体で困惑している姿が目に浮かぶ。どうしてそんな心配をしなければいけないのだろうか?骨が折れている、想像するだけで僕の顔はゆがんでくる。体だってしんどいだろうし、事故に巻き込まれたのだから心のショックだって計りしれない。

電車に揺られながら無性に腹が立ってきた。涙さえ滲んでくる。決して自由席が満席で通路にも人が埋まりデッキにもあふれ僕の座っているトイレ横のデッキ上を1分置きにうるさいガキや携帯おやじが またぐ からではない。「何に腹が立っているにだろう?」頭の中で考える。連絡してこなかった彼?「そんなことはない。日本にいる間に会えただけでも幸運だ。」彼と彼に家族の関係?「家族を大切に思えばカムアウトなんて出来ない。まして地方にいけばなおさらだ。」じゃあ...言えない状況だろうか?これは問題範囲がおっきいので整理することにする。少ない知識を網羅して考え始めた。

チェッ 誰かがまた、またぎやがった。

言えないのは社会に偏見があるからなのでこういう状況にならざるを得ない。だとしたら偏見をなくす近道は?偏見しないでと呼びかける。啓発ってやつですか?でも一度根付いた価値観をひっくり返すなんて効果がすぐにでるのだろうか? なんか違う。教育なんてどうでしょう。でも自分自身も昔、日本で起こった様々な人権問題を勉強してきたはずだが頭に入っていない。どれもどうも的を得ない。 

と考えているうちについてしまった。とりあえず姉の家に向かう。先ほどからウンコを我慢していた。トイレ横に座っていたのにも係わらず、なぜしなかったのか。それはそのスペースを1度離れてしまえば、絶対戻れない混みようだったからだ。お尻はすっかり冷えている。

タクシーの暖かさはホット一息つかせ便意が強烈に襲ってきた。姉の家についたとたんトイレに駆け込んだ。スッとしてふと見上げると、こんな文章が飛び込んできた。姉の家にはいろんな格言や、姉が心に残った文章を壁にベタベタ貼ってあるのだ。

ある田舎で農業の家に嫁ぎ10年目になるお母さんのエッセーだった。

(前略)
私は、今まで特定の神を持たずに生きてきました....が、ここで農業を始めて10年。知らず知らずのうちに、入信するともしないとも意志表示をしないのに、気がついたら「人並み教団」なるものに片足をつっこんでいる自分にハタと気づいてしまいました。教祖様のお名前は世間様。その教団は「人並み」「肩書き」「お金」といった物を、大事にしているようでした。そして「高校ぐらいでないでどうする」というのもあるようでした。去年の9月30日、高校2年生の娘がお腹に赤ちゃんがいて、産みたいので学校を辞めると宣言しました。そもことに迷いはないという感じで、きっぱりと言い切りました。「人並み教団」に片足をつっこんでいる私は片足分だけ悩みました。高校ぐらいでておいた方がいいのでは......というヤツです。
(中略)
今年の2月赤ちゃんが誕生しました。赤ちゃんに始めて会った時に、私は声を上げて泣いてしまいました。生まれてきてくれてありがとうと、何度も何度も心の中で繰り返していました。高校よりも世間様よりも、大事な物が光り輝きながら産声をあげていました。赤ちゃんは世間様をはるかにこえてしまって、それ以上に神々しくそこに存在していたのでした。まわりの人の心をやわらげてくれ、やさしく包んでくれています。この地域で両親と共に暮らし農業をしていく上では、さけて通れない、大事な世間様、私もその教えを頂いています。でも、それに増して大事なのは命だと言うことを、娘を通して知ることができました。その世間様の教典は、普遍的な物ではなく時代と共に、変わりうる流動的なものであると言うことを知りました。
(後略)

そう、だったのか。
憎き教祖。「世間様」
僕の腹立ちはこれだったらしい。

はらいそ [170cm * 63kg * 49歳 BCBG系]

HIV抗体検査を受けた時点で、感染しても当然なことをして来たので感染を告知された時は意外と平然としていた気がします。治療を始めて約10ヶ月、現在では他の人にも感染させにくい状態までになりました。私は東京近郊の小都市に住んでいますが、大都市と違い情報が多くありません。できればこの地域でのネットワークを作りたいと思っています。感染してわかったことは思っていた以上にこの病気は恐ろしいものではないことです。

治療さえ続けていれば進行することはないし、いつかは完治できる治療薬が開発されるはずです。数人の友人にカムアウトしましたが皆、快く受け入れてくれ今も普通に付き合ってくれています。支えてくれる人たちが必ず皆さんの周りにもいるはずですから、感染の心配をしている人たちはまず検査を受けましょう。それから後のことはまた考えましょう。相談できる人が必ずあなたの周りにいるはずです。

K先生大好き! [167cm * 57kg * 23歳 帰ってきたシロガネーゼ系]

「生きているって素晴らしい!」

私、小さい頃から、長生きはしたくないと思っていた。
漠然とだけど、そこそこに生きて、早く死にたいと思ってた。

病気のことがわかったときも、まぁショックだったけど、
これで早く死ぬ理由が出来た、とか思った。

そのときは病気のことなんか、他人事だと思ってよく知らなかったから、
あと5年や10年で死んじゃうんだな、
ま、そんだけ生きれば充分かな、とか思ってたんだけど、
初めて病院行った日に話を聞いて、
最近は医学が進歩して、そんなにすぐには死なない、ってことで、
安心した反面、ちょっとがっかりしたりもした。

別に、生きたくなけりゃ、病院なんて行かずに、
勝手にどんどん悪くなって死んじゃえばいいのに、って思うんだけど、
なんか、それも出来ないんだよね。

よくわかんない。
すぐには死なない、って言われて、安心もしたし。

ドクターとの話の流れで、
数値が悪いから、明日からこれとこれとこれ飲んで、って感じで、
まぁ、同意というか、承諾みたいなことはして、薬飲むことになって、
もう1年以上きちんと時間守って飲んじゃったりしてんだけどね。

あとで考えたら、飲まないって選択もありだったんだけど、
断れない性格の私は、そのまま飲むことにしちゃったしさ。

たまに、なんで薬飲んでんだろうって、
本当に、ただ純粋に、疑問に思うことがある。
生きたくなけりゃ、別に薬飲むことなんてないのにさ。
やっぱ、死ぬの、イヤなのかも。

断れない性格だとか言い訳して、本当は死にたくないだけだったりさ。
早く死にたいなんていきがって見せても、ただの臆病者だったりしてさ。

生きることは辛いことだから、それから逃げたがってる振りして、
結局そこにとどまることしか出来てないなんて、情けないね。

ときどき、試してみたくなるよ。
結局、それすらも出来ないんだけど。
どうしようもないね、全く。

ドコモノコドモ [185cm * 75kg 童髭系]

頑張れ元気

3年前僕は病院で感染の告知を受けました。

それまでの経過を話します。会社でリストラに合い、信じていた友達に裏切られて心身とも疲れていた時の出来事でした。

最初は顔に小さな痛みがあり、ほっとけば直ると思ってました。でもそれが顔が半分つぶれるぐらいになり、近くの診療所に行き、診てもらったんですが原因がわからず大学病院を紹介されました。病院に行く前日の夜に事態は悪化して自分で救急車を呼んで病院に運ばれました。顔の治療を受けて点滴をして翌日病院の外来で診察を受けて初めて自分がHIVに感染したことを打ち明けられました。

その時は顔の痛みの方に気を取られて入院してから実感が涌きました。知識も何も知らず死の恐怖が襲ってきました。

でも主従医の先生や看護婦さんに薬を飲めば大丈夫だと言われ励まされてもなかなか心にその言葉が入らず、人間不信になり悪夢まで見るようにました。

そのときに心の支えになってくれたのがゲイの友達です。自分に生きる勇気、人を信じること愛することを教えてくれたのは彼でした。僕はその時ヘテロでした。いつしか彼は僕に恋愛感情を抱いてきました。なかなかその好意を受けられなかったです。

顔の痛みがなくなり顔も元に戻りましたが、鼻の一部分がただれて傷として残りました。歯茎が溶けて前歯が全部抜け入れ歯を入れました。

入れ歯を入れるまでの期間が長くて食事は柔らかいのしか取れず随分やせて苦労しました。片方の鼻の穴の奥がすこしつぶれて息苦しさを感じました。

入院したのが1ヶ月。早期発見をしたから死なずにすんだといわれました。検査で免疫が下がっていてカリニ肺炎になっていました。退院は平成10年の7月でした。その年の11月に1ヶ月入院しました。それから2年薬の副作用と闘いながら今元気に生きています。

僕の心の支えになってくれた彼は去年の12月事故で亡くなりました。僕にいろんなことをおしえてくれました。人を愛するのに男も女も関係ない。自分のそばにいて自分の病気のことを理解して励ましてくれて受け入れてくれるならばいいとおもいました。そして僕は男の人の恋愛も受け入れるようになりました。

薬の副作用は人それぞれですが副作用があるとなかなか仕事が出来ません。だから生活保護の世話になっています。それでも自分のことを理解する人が少しずつですが増えてきています。誰とHするならばコンドームが必要です。

感染しても薬さえあればまたSEXは出来ます。
でも安全な行為をやるならば生は良くないです。

僕はこの病気になっていろんなところのゲイスポットを見学にいきましたが、コンドームをしていない行為が多くびっくりしてしました。呼びかけはその都度雑誌や口こみイベントでしています。これは自覚の問題です。生でやっているといつのまにか感染して早期発見ができません。不言実行です。コンドームは携帯電話と同じく生活に必要なものです。もしHIVに感染しても一人で悩まないでください。あなたはひとりではありません。薬を毎日欠かさず飲めば進行は防げます。

それに感染者の仲間がいてあなたの心に光を与えてくれると思います。僕からのお願いです。
病気に注意して健康で安全な人生を送ってください。

つばさ [172cm * 68kg * 33歳 下町系]

慣れてしまえばどうってことない病気です今はね。。。クスリも進歩してるし。でも感染告知当初は若干ビビりましたよ。ビビったっていうより「自分はなんて運が悪いんだろう」ってこで一瞬塞いでいました。

でも気付いたんです。これを機に「自分が変わればいいんだ!!」ってことに。HIVは神様から与えられたものだと前向きに考える事によって、今まで見えていなかった人の優しさ、自分の優しいさ、または偉大さを知ることができたのです。ちょっと皮肉な発見。それまで自分を痛めつける事しかしてこなかった自分がHIVによって前向きになれたのです。

だって人はいつかは今生での生涯を遅かれ早かれ終えるのですから、この人生のゲームを思いっきり楽しんだ方が損得で言ったって得でしょう?仕事がなければ自分で始めればいいわけだし、精神的に追いつめられたら「仲間」がいます。そうそう、感染者になってからの方が友達が増えましたよ!!それは素敵なことでしょ?

常に心を開いて生きていれば人生は良い方向に展開するもの。
「過去はあなたを傷つけることはない」のです。
「今」を頑張って生きることが、ハスに構えて斜めに物事見るより100倍いいってことを私はHIVに感染して学びました。
「神様ありがとう」

異邦人 [175cm * 67kg * 29歳 すじ筋系]

自分の感染を知ったのは4年半前でしたが、体調はいまも良好で薬も飲んでいません。自分にとっては、感染をしたことは必ずしも、悪い事ばかりでなく、良い事かもしれないと思います。友だちも増えたし、体のこと等いろいろと相談にのってくれる人も出来ました。日常生活は今までとそれほど変わっていません。

今年になって年下の彼ができました。でも、自分の感染について、なかなか彼に伝えられないでいます。もし感染を告げたら、彼がどう反応するのかがすごく恐いです。彼がどのくらい病気の知識をもっているのかもわからないし、彼がパニックになるのではと心配です。

二人の間では、常にセイファーセックスをしていて、自分としては、安心してつきあっていられます。彼もセイファーなセックスをする事に満足しているようです。

いつかは、彼に言わないといけないと思っています。現在、彼に知識を伝える努力をしながらタイミングをまっている状態です。

光一 [165cm * 51kg * 21歳 ジャニ系]

あなたは楽観的ですか、悲観的ですか?

あなたは、GAYとしての自分の人生に対して楽観的でしょうか、悲観的でしょうか? もし、あなたが、または、あなたのパートナーがHIVだったなら悲観的にならざるをえないのでしょうか。確かに、続々と新薬ができているにもかかわらず、発病や、死に直面した病気であるっことは、確かです。しかし、全部が全部HIVであることが、悲観的な人生なのでしょうか?確かに、最初は、現実を素直に受け入れる事はできないかもしれません。しかしながら、気持ちを切り替えて、自分なりにHIVと上手く付き合う方法を、見つけることもできると思います。一つ言えることは、あなたはたとえHIVになたとしても一人ではないということです。まだまだ、偏見や差別はあると思います。同じポジティブの人はなおさら必ず、理解してくれる人はいるはずです。なにも、HIVである事を、公言しろと言っているのではなく、必ず、言うまたは、伝えなければならない時があると思います。言いたくなければそうすればいいししかし、言ってあげた方が、KINDな場合もありますよね!勇気を出して下さい。そうする事が少しは楽観的な人生になるのではないでしょうか。さあ、まずは、検査に行きましょう!

げんぞう [177cm * 84kg * 39歳(まだ) もとSG]

みなさんこんにちは。
おいらは、感染歴3年をこえるポジティブです。
幸いな事に、おいらは一度も入院する事もなく今日まで過ごす事が出来ました。
しかし、毎朝毎晩ロシアンルーレットを強制させられているのはいなみきれませんが。
毎日毎日自分の人生を勝ち取らなければならない人生。
これはこれで、なかなか面倒臭いものですよ。
負ける事のでないマラソンレース。すぐ後ろを走っているのは「死に神」。
毎日こんな事ばかり考えているので、気がめいる事おびただしいです。

だから。

どうか。「HIVウィルス」に感染しないようにして下さい。
どうか。自分が感染しているのかいないのかはやく把握して下さい。
どうか。あなたのそばにいる「HIV感染者」をサポートしてあげて下さい。

H [165cm * 53kg * 23歳 普通系]

僕にとって、今年の23歳の誕生日は、一生忘れられない日となるだろう。これからも誕生日が来る度に思い出すんだと思う・・「HIVの陽性の告知を受けた。」と云う事を。

今年は、本当にへこんだ。まさか、自分が本当にそうなの?…保健所で、告知を受けた時、頭の中が真っ白になった。そんな訳無いと云う思いが強く、その場で、どこかの湖にでも飛び込んでしまいたいと思った。

でも、今は少し落ち着いて、有り難い事に、両親にも、恋人にも話す事が出来、受け入れてもらっています。

僕は幸せだ。1人で悩んでる人たちに比べればね…HIVは、今は、そんなに怖くないと言う事も分かった。そして感染した今、妙に、充実して、不思議と倖せだ。わりといままでと同じように皆が接してくれてるし…

今、僕と同世代の感染者がふえてるらしい。でも、みんないるから大丈夫だよ、失う物より、得る物の方が多いと思うから、ね… だって、今の僕がそうだし。この病気になって一番何を得たか?取り戻せたかっていうと親との絆だもん。…それこそが一番僕にとっての宝物だよ。昔からつまんなくて寂しくて2丁目で遊んで泊まり歩いてさー。そんな生活を7年も続けたらこんなんなっちゃった。自業自得って言えばそれまでだけど、でもそんな僕の事を、親父は抱きしめてくれた。…「お前は馬鹿だ、馬鹿だけど、、おれの大事な子供だよ」って、凄い嬉しかった。何で今まで僕はこんなに一番身近な人にあまえなかったんだろう?って思った。そうしてたら何か違う展開になっていたのかもしれないのに、、確かに100%後悔してない、なんていったら嘘だよ、だけど僕はこれが手に入った。それでいいじゃんか、遠回りしたけど。一番子供の時から欲しかったものを得る事が出来たんだ。

だから、同世代の人たちに言いたい。今が楽しければいい。って本当にいいよ。自分もそうだったし…でも、ほんのちょっとだけ気をつけてほしいんだ。そうすればもっともっと楽しんで胸はって生きれるじゃん。  

あと、この病気の事を誰にも言えない人もたくさんいると思う、、、でもみんないるから大丈夫だよ。怖くないからさ? だから頑張ろー!!         

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